食足世平🍜
もう、大晦日…。今年も一年が終わります。
一年間、今年もお世話になりました✨
わが家は、変化が多く慌ただしい一年だったような気がします。
私個人的には…せわしない生活のなかにも楽しみをみつけながら生活し、とくに10月からは待ちに待ったNHK連続テレビ小説『まんぷく』を観るのが欠かせない日課になっています!
「チキンラーメン」や「カップヌードル」という商品を生み出した、『日清食品』創業者、『安藤百福(ももふく)』さんとその奥様の『仁子(まさこ)』さんをモデルにした物語です(^^)
数年前、娘に買った短編読み物「10分で読める伝記 2年生」で安藤百福さんのことを読んだり、六年ほど前に、家族旅行で横浜方面に行った時に、「カップヌードルミュージアム横浜」に行ったことがあります♪見学の後で最上階の「世界の麺コーナー」でベトナムの「フォー」を娘と食べたことを思い出します☆
食育などでは、塩分が多すぎる…なんて言われて即席麺はひかえるように…と指導を受けます。私も結婚後は極力ひかえ、育児中もこどもたちにはあまり食べさせなかったのですが、近頃は息子が冬の間の野球の練習でグランドで寒い中、お昼を食べる時や、主人が外での作業が続いた時に暖をとるために、やはりお湯を注いで数分待つだけで温かいものが食べられる「即席麺(インスタント麺)」は、わが家にはないと困るものになっているのが正直なところです😄
ところで、この即席麺の発明物語、日本人ならぜひ一度はふれてみてください❗️
台湾で生まれた安藤百福さん。
いろいろな経緯で大阪にやって来ます。
終戦…。G.H.Q.の占領下にあった当時の日本…。とにかくG.H.Q.に反発できずに混乱していたとき…、大阪の闇市に立ったラーメンの屋台に長い行列ができていたことがあり、薄明かりの中に温かい湯気が上がり、ラーメンをすする人たちの顔が幸せそうな表情に包まれていたのを見て、日本人が麺好きであることにヒントを得て、長い年月をかけてまた、想像を越えるご苦労を重ねた末に、1958年、安藤百福さんが、48才の時に、お湯を注げば数分で美味しい麺が仕上がる特殊な方法を開発、家族総出で製品づくりに励み、梅田の百貨店の地下食品売り場で試食販売をすると誰が言い出したのか、「魔法のラーメン🍜」と呼ばれたとか…!
いよいよ商品化、ネーミングは鶏ガラスープ味なので「チキンラーメン」、ひとつ35円という当時は少し値がお高い価格設定で売り出されました。
それでも、使い勝手が良いチキンラーメンは人気で、当時からよく売れたそうで、発売から60年たつ今もお店の棚に並んでいるロングセラー商品になりました!
以後、日清食品さんは多くの商品を世に送り、今では多くの家庭にインスタント麺は保存食として、常備されるようになりました✨
2000年調べの「日本人が選ぶ世界に誇れる日本の発明品」第一位は、「インスタントラーメン」だったようですよ!
こんなエピソードもあります。
1995年に起きた、阪神・淡路 大震災には、たくさんの被災者が、避難を余儀なくされました。地震は1月17日の真冬…、冷えと飢えを予想した安藤さんは、大阪の本社から神戸市の災害対策本部と連絡をとり、食料・水・燃料が不足していることを知り、社員による救援隊を組織して給湯器付きのキッチンカーを出動させ、約1万5000食の即席麺を積んで、被災地に向かわせたそうです!さらには、対策本部や、自衛隊に合計100万食のインスタントラーメンを緊急輸送したとか…😄
どんなときも、「食足りて世は平らか」という信念を貫きました!
2007年1月に亡くなるまで、とにかく旺盛な好奇心をもち、そしてまごころの深い方だったそうです✨
ちなみに、安藤百福さんは即席麺の開発にあたって、5つの目標を掲げました。
①おいしくて、飽きがこない味にする。
②家庭の台所に常備できる保存性のあるものにする。
③調理に手間がかからないようにする。
④値段を安くする。
⑤安全で衛生的なものにする。
こんな思いをこめて開発された「インスタント麺」。
時には、夕食づくりをひと休みして、安藤百福さんの熱い思いにふれながら、味わってみたいと思います☆
来年も食足りて平らな世でありますよう祈ります✨